沖縄市登川にある伝統的なキリスト教会                                            Shinko Baptist Church in Okinawa

聖書の救い

聖書の中には死が終わりではなく 天国に行く方法が記されています


 聖書は、現代の福祉や人権の向上に、大きな影響を与えてきたことから、道徳や倫理についての教えの本と思われているかもしれません。

 しかし、それだけではありません。聖書は、人が死んだ後のことを明確に記している書物です。

「これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、
 あなたがたが信じるためであり、また信じて、イエスの名によっていのちを得るためである。」
 【ヨハネの福音書20章32節】

 

 人は、どうすれば天国に行けるのか。その具体的な方法は、この箇所を通して知ることができます。以下は、聖書に記されている死んだ後に天国に行った犯罪人についての実話です。

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 二人の犯罪人が、イエスとともに死刑にされるために引かれて行った。「どくろ」と呼ばれている場所に来ると、そこで彼らはイエスを十字架につけた。また犯罪人たちを、一人は右に、もう一人は左に十字架につけた。
 そのとき、イエスはこう言われた。「父よ、彼らをお救しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。」彼らはイエスの衣を分けるために、くじを引いた。
 民衆は立って眺めていた。議員たちもあざ笑って言った。「あれは他人を救った。もし神のキリストで、選ばれた者なら、自分を救ったらよい。」兵士たちも近くに来て、酸いぶどう酒を差し出し、「おまえがユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ」と言ってイエスを嘲った。「これはユダヤ人の王」と書いた札も、イエスの頭の上に掲げてあった。
 十字架にかけられていた犯罪人の一人は、イエスをののしり、「おまえはキリストではないか。自分とおれたちを救え」と言った。
 すると、もう一人が彼をたしなめて言った。「おまえは神を恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。おれたちは、自分のしたことの報いを受けているのだから当たり前だ。だがこの方は、悪いことを何もしていない。」
 そして言った。「イエス様。あなたが御国に入られるときには、私を思い出してください。」
 イエスは彼に言われた。「まことに、あなたに言います。あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。」

【ルカの福音書23章33節から】

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 死んで天国に行った犯罪人から分かるように、天国に行く方法は、とても分かり易く簡単です。ぜひ、次の四つのステップをお読みください。
 

①自分の罪を知る

 天国に行った犯罪人は、「おれたちは、自分のしたことの報いを受けているのだから当たり前だ」と言いました。つまり、自分には罪があることを認めていました。

 犯罪を犯したのだから罪があるのは当然です。しかし、私たちは、犯罪を犯していなくても、神様の基準には達してはおらず、心の中は汚れているのではないでしょうか。

 聖書によると、たとえひとつの嘘であっても、罪は罪なのです。

②救われる必要があることを知る

 救われる必要とは、つまり、このままではいけないという認識です。もし、天国と地獄があるのであれば、大きな犯罪を犯した訳でもないし、少しぐらいの罪なら、おそらく天国に行けるであろうと思いたいものです。

 しかし、聖書には、罪がある人間は、自動的に天国に行くことはないと教えられています。

 罪ある自分は、神の裁きから救われる必要があるということを認め、その上で、犯罪人のように救いを求めたいものです。

③キリストの十字架を知る

 天国に行った犯罪人は、言いました。「おれたちは、自分のしたことの報いを受けているのだから当たり前だ。だがこの方は、悪いことを何もしていない。」

 それでは、悪いことをしていないキリストは、なぜ、罰を受けたのでしょうか。それは、悪いことをした私たちの身代わりとなられたからです。神様は私たちの身代わりとなるために、人となってこの世に来られました。(詳細は「聖書の祝福」の②をご覧ください)

 一般的に、宗教と言われるものは、人にある災難や病などの問題を指摘します。そして、それを解決しようと思えば、「あなたは〇〇をしなければならない」とあなたに何かしらの要求をしてきます。

 しかし、私たちを子供のように愛してくださる真の神は、問題の解決を私たちに要求されたのではなく、ご自身が自ら天から下ってこられ、罰を受けることで、解決されたのです。

 確かに聖書は、罪があるという私たちの問題を指摘しています。しかし神は、その解決のために、私たちに何も要求なさいませんでした。むしろ、子を愛する親のように、自分が犠牲になりたいと思われたのです。

④福音を信じる

「キリストは、聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、
 また、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに三日目によみがえられたこと」
 【Ⅰコリント15章3節から】

 キリストは、私たちの罪の身代わりとなって、十字架にかかり、死んで葬られましたが、三日目によみがえりました。これが福音です。 天国に行った犯罪人は、「私を思い出して下さい」と信じていることを表明したことにより、罪が赦され、天国に行けるようになりました。

 私たちの問題を解決するために、神自らが犠牲となって下さいました。誰でも救われるのですが、せっかくのこの福音を拒むなら、そうではありません。プレゼントをあげたいと思っても、受け取ってくれなければ、それはプレゼントにはならないのです。

 残念なことに、もう一人の犯罪人の方は、キリストを受け入れずに、ののしりました。彼は、救いのプレゼントを拒んだのです。ところが、信じた方の犯罪人には、キリストは、こう言われました。

「まことに、あなたに言います。あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。」

 天国に行った犯罪人は、死ぬ前に福音を信じただけでしたが、キリストは、彼に言いました。「今日あなたは死んだ後で、わたしと一緒に天国にいることになります。」

 彼は、毎週教会に通うことも、慈善事業に励むこともありませんでした。福音を拒まないで、受け入れただけだったのです。多くの人が、教会に通い続けることができないとか、生活習慣を変えることができないのではと、信じることに躊躇しますが、それらは、救われるための条件ではありません。

 もし、そうであるなら、もう教会に通えない寝たきりの病の人は救われないのでしょうか。聖書も読めず奉仕活動もできない幼子は、どうでしょうか。どんな人であっても、人は単純に信じて、救われるのです。

 いかがでしょうか。今日、あなたも聖書の福音を信じて救われませんか。これから先いつ死んでも、必ず天国に行くことができるという素晴らしい神様からのプレゼントを受け取りませんか。

「イエスは彼に言われた。
 『まことに、あなたに言います。あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。』」

難しくはありません。今、あなたの心を神様に向け、

「私は自分に罪があることを認めます。
 私は神であるイエスキリストが人となってこの世に来られ、
 私の罪の身代わりとなって十字架で死に、3日目によみがえったこと
 私を救ってくださることを信じ受け入れます。
 天国へ行けることを感謝します。」

 上記の言葉を祈りの告白として、声に出して心から読み上げ、お祈りすることができるなら、それは、福音を拒むことなく、受け入れたことであり、信じ救われたことになるのです。

「人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」 【ローマ10章10節】


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