聖書には、どのようなことが書かれていて どのような祝福があるのでしょうか。
①聖書は世の始まりから世の終わりまでを記している歴史の本です
「はじめに神が天と地を創造された。」【創世記1章1節】
聖書には、この世界が神によって創造されたことが記されています。
「神は人をご自身のかたちとして創造された。
神のかたちとして人を創造し、男と女に彼らを創造された。」【創世記1章27節】
聖書には、私たち人間も神によって創造されたことが記されています。
「イエスがオリーブ山で座っておられると、弟子たちがひそかにみもとに来て言った。
『お話しください。いつ、そのようなことが起こるのですか。
あなたが来られ、世が終わる時のしるしは、どのようなものですか。』」【マタイ24章3節】
聖書には、未来の世の終わりの現象が、預言というかたちで詳しく記されています。それによると、多くの厳しい時代を通りますが、最後には、神のあわれみ豊かな祝福があることが記されています。
聖書の預言は今、世界中で注目されています。
②聖書は救い主であるキリストの生涯を記している伝記です
「見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産む。」 【マタイ1章23節】
神であるキリストは、人間の姿をとって、処女マリアから生まれました。生まれる時期や場所も旧約聖書に預言されていました。
「キリストは罪を犯したことがなく、その口には欺きもなかった。」【Ⅰペテロ2章22節】
キリストは、人間という過酷な労働に加え、私たちと同じような人生の苦しみを経験しましたが、罪を犯したことはありませんでした。病の人や子供たちを受け入れ、限りない愛を示されました。
「キリストは自ら十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた。」【Ⅰペテロ2章24節】
「驚くことはありません。あなたがたは、十字架につけられたナザレ人
イエスを捜しているのでしょう。あの方はよみがえられました。」【マルコ16章6節】
キリストはその生涯の終わりに、私たちの罪の身代わりとなって、十字架で罰を受け死なれましたが、三日目によみがえりました。
③聖書は神がどのようなお方かを教えている紹介本です
「神は愛です。」【Ⅰヨハネ4章16節】
神は、今のあなたを否定することなく、あなたという存在そのものを喜んでおられます。
「神にはえこひいきがないからです。」【ローマ2章11節】
他の人がよく見えることは、よくあることです。しかし、聖書を読むと自分も祝福されていることが分かり、感謝に溢れます。
「主は天から目を注ぎ人の子らをすべてご覧になる。」【詩篇33篇13節】
あなたは神から見て、大勢の中のひとりにすぎないのではなく、神はあなたひとりに注目し、とても大切にしておられます。
「主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。」【申命記31章6節】
人から捨てられたり、裏切られたりすることは、悲しいことではないでしょうか。しかし、神は決してあなたから離れることはありません。私たちが神を裏切ることがあっても、神はあなたを見捨てないのです。
④聖書は人生の生き方を教えている指南書です
「様々な試練にあうときはいつでも、この上もない喜びと思いなさい。」【ヤコプ1章2節】
人を大きくするのは試練です。神が、あなたを導いておられる時だと受け止め、前向きに生きるなら、大きな祝福を掴み取ることができます。
「あなたの右の頬を打つ者には左の頬も向けなさい。」【マタイ5章39節】
私たちは仕返しをしたくなるものです。しかし、相手に痛手を負わせて、本当にそれで問題が解決するのでしょうか。
「あなたは、兄弟の目にあるちりは見えるのに、
自分自身の目にある梁には、なぜ気がつかないのですか。」【ルカ6章41節]
私たちは自分のことを棚に上げて、人の些細なことを気にしてはいないでしょうか。気にすべき方向性が間違っています。
「すべてのことにおいて感謝しなさい。」【Ⅰテサロニケ5章18節】
苦しみも悲しみも、全てのことには意味があると 感謝ができるならそこには勝利があります。あなたの未来は、今、感謝をするか、それとも。今、不満を口にして、心を閉ざしてしまうのかで分れます。
⑤聖書は天国に行く方法が記されているガイドブックです
「あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思って、聖書を調べています。
その聖書は、わたしについて証ししているものです。」【ヨハネ5章39節】
聖書には天国に行く方法が明確に記されています。誰でも、その思いがあれば、天国に行くことができます。
天国に行く具体的な方法は、「聖書の救い」の欄をご覧下さい。
「神は彼らの目から涙をことごとくぬぐい取って下さる。
もはや死はなく、悲しみも、叫び声も、苦しみもない。
以前のものが過ぎ去ったからである。」【ヨハネの黙示録21章4節】
旅行のガイドブックには、その行き先の素晴らしさが書かれています。それを読むとワクワクするものです。聖書には、行き先であるその天国の素晴らしさがたくさん書かれており、死に対する恐れがなくなります。
それではここで、聖書の連続した一部の箇所を読んでみませんか。
これは、「放蕩息子の話」としてよく知られている箇所の一つです。キリストが語った例え話であり、登場してくる「父」は神を表し、その「息子(弟)」は私たちの姿を示しています。
家を出て父親に背き大きな迷惑をかけた息子は、もう父に会わす顔がないと思いました。しかし、思い切って父の家に帰ったのです。その時、父親はどうしたでしょうか…。
神の愛が、具体的によく分かるとても素晴らしい箇所です。
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イエスはまた、こう話された。
「ある人に二人の息子がいた。弟のほうが父に、『お父さん、財産のうち私がいただく分を下さい」と言った。それで、父は財産を二人に分けてやった。
それから何日もしないうちに、弟息子は、すべてのものをまとめて遠い国に旅立った。そして、そこで放蕩して、財産を湯水のように使ってしまった。
何もかも使い果たした後、その地方全体に激しい飢饉が起こり、彼は食べることにも困り始めた。それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑に送って、豚の世話をさせた。彼は、豚が食べているいなご豆で腹を満たしたいほどだったが、だれも彼に与えてはくれなかった。
しかし、彼は我に返って言った。「父のところには、パンのあり余っている雇い人が、なんと大勢いることか。それなのに、私はここで飢え死にしようとしている。立って、父のところに行こう。そしてこう言おう。
「お父さん。私は天に対して罪を犯し、あなたの前に罪ある者です。もう、息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください。」』
こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとへ向かった。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけて、かわいそうに思い、駆け寄って彼の首を抱き、口づけした。
息子は父に言った。「お父さん。私は天に対して罪を犯し、あなたの前に罪ある者です。もう、息子と呼ばれる資格はありません。」
ところが父親は、しもべたちに言った。「急いで一番良い衣を持って来て、この子に着せなさい。手に指輪をはめ、足に履き物をはかせなさい。そして肥えた子牛を引いて来て帰りなさい。食べて祝おう。この子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから。」
こうして彼らは祝宴を始めた。
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いかがでしたか。父は毎日のように遠くを眺め、息子が帰ってくることを待っていました。財産を使い果たした息子をとがめるどころか、よく帰ってきてくれたと、喜びで一杯でした。
神は、このように今日も、あなたのことを温かな眼差しで見つめておられるのです。